宅急便の産みの親の思い
小倉昌男さんは、ヤマト運輸の社長で宅急便を世に産み出した経営者です。
既にもうお亡くなりになられていますが、著書「経営学」は今のビジネスリーダーにも広く読まれています。
ちょうど日経ビジネスが「私の中の小倉昌男」と特集を組み、小倉さんに影響を受けた経営者にインタビューしています。これも非常に興味深く、小倉さんの残した功績は、とてつもなく大きかったことがわかります。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/16/090700018/?i_cid=nbpnbo_lfbn
さて、本の中では、なぜ小倉さんがヤマト運輸を退いた後に福祉に力を入れたのか、その理由が見えました。
小倉さんはヤマト運輸を辞めた後、私財をヤマト福祉財団の設立のために投じ、障碍者の就労環境の改善に力を入れます。
スワンベーカリーというベーカリーショップも立ち上げ、障碍者の方でも月10万円給与がもらえるように尽力されました。
この活動が素晴らしいという一方で、なぜ宅急便の後に福祉をやろうとしたのか?
この疑問を解き明かそうと、著者が取材を重ねたところ、たどり着いた答えは、小倉さんの娘さんの精神状態が大きく関わっていたのではないかということでした。
娘さんは、当時は病名は分からなかったようですが、境界性パーソナリティ障害を長年患っており、精神状態が安定しないことが多く、小倉さんの家庭内はひどい状態だったようです。
奥さんと娘さんが喧嘩している最中は、はっきりしない態度で、宅急便を全国に広げた経営者の威厳は家庭内では、全くでることはなかったようです。
障碍者と精神疾患をもった娘さんとを掛け合わせて見て、障碍者支援に乗り出したかもしれない。本を読んで、小倉さんが福祉に乗り出した理由が垣間見えました。
奥さんに先立たれ、その後一緒に同居していた娘家族もアメリカに移住することとなり、大きな家に1人残った際は非常に寂しい思いをされましたが、お亡くなりになる前は、渡米して娘家族と暮らす決断をし、最後は安らかに眠られたことでした。
名経営者も人の子であり、1人の人間だったのだなと、とても強く感じさせられました。
普段すごいなーと思っている方も、家では私達と同じように家族と持ち、色々な悩みや不満を抱えているのかもしれませんね。
小倉さんの内面に迫るとても心に残る本でした。小倉さんの本を読まれた方にぜひおススメです!